社内常識に要注意  平成28(行ケ)10005

社内常識に要注意 H28(行ケ)10005

平成29年1月18日判決言渡
平成28年(行ケ)第10005号 審決取消請求事件

1.事件の概要

本件は、無効審判請求を不成立とした審決に対する取消訴訟です。すなわち、被告(特許権者)は、「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」とあるところの「平均分子量」を「重量平均分子量」のつもりで数値限定していましたが、明細書中で例示されている市販のコンドロイチン硫酸塩であるコンドロイチン硫酸ナトリウムの分子量として粘度平均分子量が記載されていたことから、不明確であるとして原告が無効審判請求したところ、特許庁が「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をしたので、原告がこの審決の取り消しを求めて提訴したものです。
争点は,複数ありますが、本稿では特許請求の範囲に記載の「平均分子量」の意義に関する明確性要件(特許法36条6項2号)違反のみ取り上げます。

2.本件特許請求の範囲の記載(本コラムに必要部分のみ抽出)

【請求項1】・・・平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とするソフトコンタクトレンズ装用時に清涼感を付与するための眼科用清涼組成物。

3.裁判所の判断

「平均分子量」という概念は,一義的なものではなく,測定方法の違い等によって,「重量平均分子量」,「数平均分子量」,「粘度平均分子量」等にそれぞれ区分される(甲17)。そのため,同一の高分子化合物であっても,「重量平均分子量」,「数平均分子量」,「粘度平均分子量」等の各数値は,必ずしも一致せず,それぞれ異なるものとなり得る(甲27)。

イ 本件特許請求の範囲及び本件明細書には,単に「平均分子量」と記載されるにとどまり,上記にいう「平均分子量」が「重量平均分子量」,「数平均分子量」,「粘度平均分子量」等のいずれに該当するかを明らかにする記載は存在しない。
もっとも,本件明細書に記載された他の高分子化合物については,例えば,ヒドロキシエチルセルロース(【0016】),メチルセルロース(【0017】),ポリビニルピロリドン(【0018】)及びポリビニルアルコール(【0020】)の平均分子量として記載されている各社の各製品の各数値は,重量平均分子量の各数値が記載されているものであり,この重量平均分子量の各数値は公知であったから(甲58,61ないし67),当業者は,これらの高分子化合物の平均分子量は,重量平均分子量を意味するものと解するものと推認される。

次に掲げる事実によれば,高分子化合物の「平均分子量」は,本件出願日当時には,一般に「重量平均分子量」によって明記されていたことが認められる。
・・・・・

次に掲げる事実によれば,マルハ株式会社(その後に同社の事業を承継したマルハニチロ株式会社を含む〔甲43〕)から販売されていたコンドロイチン硫酸ナトリウムの「重量平均分子量」は,本件出願日当時,2万ないし2.5万程度のものであったことが認められる。
・・・・

マルハ株式会社は,平成15年ないし平成16年頃,コンドロイチン硫酸ナトリウム(Lot.PUC-822,829,844,845,849,850及び855)の平均分子量につき,全て「粘度平均分子量」で測定してこれを販売しており,それ以外の測定方法によって算出したものは存在しない。また,上記の各製品の「粘度平均分子量」は6千ないし1万程度のものであったことが認められる。(甲2)

カ マルハ株式会社は,過去において,ユーザーからコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量について問合せがあった場合には,粘度平均分子量の数値を提供していたものであり(甲43),ユーザーには当業者が含まれると推認されるから,本件出願日当時,マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として,同社のユーザーである当業者に公然に知られた数値は,粘度平均分子量の数値であったと認められる。

キ マルハ株式会社と生化学工業株式会社の2社は,本件出願日当時,コンドロイチン硫酸又はその塩の製造販売を市場において独占していた。
(5) 明確性要件違反について
・・・また,本件出願日当時,マルハ株式会社が販売していたコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量は,重量平均分子量によれば2万ないし2.5万程度のものであり,他方,粘度平均分子量によれば6千ないし1万程度のものであったことからすれば,本件明細書のマルハ株式会社から販売される上記「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」にいう「平均分子量」が客観的には粘度平均分子量の数値を示すものであると推認される。

そして,マルハ株式会社は,本件出願日当時,コンドロイチン硫酸ナトリウムの製造販売を独占する二社のうちの一社であって,コンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を粘度平均分子量のみで測定し,ユーザー(当業者を含む。以下同じ。)から問い合わせがあった場合には,その数値(6千ないし1万程度のもの)をユーザーに提供していたのであり,マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として,同社のコンドロイチン硫酸ナトリウムを利用する当業者に公然と知られていた数値は,このような粘度平均分子量の数値であったと認められる。

のみならず,本件出願日当時には,マルハ株式会社から販売されていたコンドロイチン硫酸ナトリウムの重量平均分子量が2万ないし2.5万程度のものであることを示す刊行物が既に複数頒布され,当該数値は,本件明細書にいう0.7万等という数値とは明らかに齟齬するものであることが認められる。これらの事情の下においては,本件明細書の「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」という記載に接した当業者は,上記にいう平均分子量が粘度平均分子量を示す可能性が高いと理解するのが自然である。そうすると,当業者は,本件特許請求の範囲の記載について,少なくともコンドロイチン硫酸又はその塩に限っては,重量平均分子量によって示されていることに疑義を持つものと認めるのが相当である。

したがって,当業者は,・・・少なくとも,コンドロイチン硫酸ナトリウムに限っては,直ちに重量平均分子量で記載されているものと理解することはできず,これが粘度平均分子量あるいは重量平均分子量のいずれを意味するものか特定することができないものと認められる。

以上によれば,・・・,上記記載は,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であり,特許法36条6項2号に違反すると認めるのが相当である。

4.当職のコメント

高分子化学の分野ではない世間一般からすると、単に平均分子量というと数平均分子量を指すはずですが、高分子の場合は重量平均分子量の方が物性と関連しているようです。

高分子化合物の平均分子量の概念として、重量平均分子量と数平均分子量があることは、当職も自ら代理する特許出願の明細書中でこれらの用語を用いた経験があるので、知っていましたが、「粘度平均分子量」なる概念があるとは、当職も知りませんでした。

発明者は、知っていたでしょうし、本件明細書の「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」の数値が粘度平均分子量であることも知っていたかもしれません。

しかし、高分子化合物の平均分子量が一般に重量平均分子量であり、社内的にもそれは常識とされていたことから、研究開発の仕事で忙しくしている中、特許出願の明細書の原案作成にあたって、特許請求の範囲にいちいち「重量平均分子量」なんて冗長な表現を用いてなんかいられず、単に「平均分子量」で十分通じると思っていたことでしょう。そして、上記の数値が粘度平均分子量であることもうっかり見逃したのかもしれません。

一方、発明者から原案を受けた知財部門の担当者も、発明者が書いた「平均分子量」の概念を疑うこと無く、まして明細書中の一カ所の平均分子量だけが異なる概念だとは想像もしていなかったでしょう。

これまでにも似たような判決があり、従来の判例を踏襲したものですが、特許請求の範囲の用語、特に数値限定の対象となる用語については、その意義が一義的に定まるかどうか一つ一つ吟味する必要があることを改めて示す教訓となる判決です。

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