「緩衝剤」の意義 平成27(行ケ)10167

平成29年3月8日判決言渡
平成27年(行ケ)第10167号 審決取消請求事件

1.事件の概要

本件は、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消訴訟で、「緩衝剤」の意義が争点となったものです。被告は、発明の名称を「オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法及び使用」とする特許第4430229号の特許権者です。原告は本件特許についての無効審判請求をし、被告は本件特許の特許請求の範囲についての訂正請求をしたところ、特許庁は訂正を認め「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をしたので、原告がこの審決の取り消しを求めて提訴したものです。
訂正後の請求項1は、「オキサリプラチン溶液組成物」という「物」の発明であって、オキサリプラチン、緩衝剤としてシュウ酸またはそのアルカリ金属塩、担体として水を構成要素とし、緩衝剤の量がモル濃度で数値限定されています。
しかし、オキサリプラチンが水と反応して分解し、シュウ酸を生成するものであることから、「緩衝剤」としての「シュウ酸」が、このような解離シュウ酸を含むのか、それとも添加シュウ酸に限られるのかが争われました。すなわち、原告は添加シュウ酸に限られると主張したのに対して、被告は解離シュウ酸を含むと反論しました。

2.裁判所の判断

ア 特許請求の範囲の記載について

 本件訂正発明における「緩衝剤」の意義について,まずは,特許請求の範囲の記載からみて,いかなる解釈が自然に導き出されるものであるかを検討する。
(ア) まず,本件請求項1の記載によると,・・・本件訂正発明1の「オキサリプラチン溶液組成物」は,上記①ないし③の3つの要素を含みもつものとして組成されていると理解することができる。すなわち,本件訂正発明1の「オキサリプラチン溶液組成物」においては,上記①ないし③の各要素が,当該組成物を組成するそれぞれ別個の要素として把握され得るものであると理解するのが自然である
しかるところ,本件特許の優先日当時の技術常識によれば,解離シュウ酸は,オキサリプラチン水溶液中において,「オキサリプラチン」と「水」が反応し,「オキサリプラチン」が自然に分解することによって必然的に生成されるものであり,「オキサリプラチン」と「水」が混合されなければそもそも存在しないものである(当事者間に争いがない。)。してみると,このような解離シュウ酸をもって,「オキサリプラチン溶液組成物」を組成する,「オキサリプラチン」及び「水」とは別個の要素として把握することは不合理というべきであり,そうであるとすれば,本件訂正発明1における「緩衝剤」としての「シュウ酸」とは,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られると解するのが自然といえる。
(イ) 次に,「緩衝剤」の用語に着目すると,「剤」とは,一般に,「各種の薬を調合すること。また,その薬。」(広辞苑〔第六版〕)を意味するものであるから,このような一般的な語義に従えば,「緩衝剤」とは,「緩衝作用を有するものとして調合された薬」を意味すると解するのが自然であり,そうであるとすれば,オキサリプラチンの分解によって自然に生成されるものであって,「調合」することが想定し難い解離シュウ酸(シュウ酸イオン)は,「緩衝剤」には当たらないということになる
・・・・・・・・・・
(ウ) 更に,本件訂正発明1においては,「緩衝剤」は「シュウ酸」又は「そのアルカリ金属塩」であるとされるから,「緩衝剤」として「シュウ酸のアルカリ金属塩」のみを選択することも可能なはずであるところ,オキサリプラチンの分解によって自然に生じた解離シュウ酸は「シュウ酸のアルカリ金属塩」ではないから,「緩衝剤」としての「シュウ酸のアルカリ金属塩」とは,添加されたものを指すと解さざるを得ないことになる。そうであるとすれば,「緩衝剤」となり得るものとして「シュウ酸のアルカリ金属塩」と並列的に規定される「シュウ酸」についても同様に,添加されたものを意味すると解するのが自然といえる。

イ 本件訂正明細書における定義について

・・・すると,本件訂正明細書の段落【0022】には,「緩衝剤という用語」について,「オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸性または塩基性剤を意味する。」として,これを定義付ける記載(以下,この定義を「本件定義」という。)があるので,まず,これとの関係で,いかなる解釈が相当であるかについて検討する。
(ア) 「酸性または塩基性剤」との記載について
本件定義においては,「緩衝剤」について「酸性または塩基性剤」であるとされ,飽くまでも「剤」に該当するものであることが前提とされている。しかるところ,前記ア(イ)のとおりの「剤」という用語の一般的な語義に従う限り,オキサリプラチンの分解によって自然に生成されるものであって,「調合」することが想定し難い解離シュウ酸は,上記「酸性または塩基性剤」には当たらないと解するのが相当といえる。
(イ) 「不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得る」との記載について
・・・・・・・・・
c 他方,解離シュウ酸は,上記aのとおり,水溶液中のオキサリプラチンの一部が分解され,ジアクオDACHプラチンとともに生成されるもの,すなわち,オキサリプラチン水溶液において,オキサリプラチンと水とが反応して自然に生じる上記平衡状態を構成する要素の一つにすぎないものであるから,このような解離シュウ酸をもって,当該平衡状態に至る反応の中でジアクオDACHプラチン等の生成を防止したり,遅延させたりする作用を果たす物質とみることは不合理というべきである
・・・・・・・・・

ウ 本件訂正明細書のその他の記載について

・・・・・・
(ア) 本件訂正明細書の実施例に関する記載によると,実施例1ないし17は,いずれも水に緩衝剤(実施例1ないし7においてはシュウ酸ナトリウム,実施例8ないし17においてはシュウ酸)及びオキサリプラチンを混合することにより製造されるものとされおり,緩衝剤は外部から加えられるものとされている。また,これらの実施例に係る成分表(表1Aないし1D)には,上記製造時に加えられたシュウ酸又はシュウ酸ナトリウムの重量とこれに基づくモル濃度のみが記載され,また,これらの実施例に係る安定性試験の結果を示す表(表4ないし7)におても,上記成分表と同一のモル濃度が記載されており,解離シュウ酸を含むシュウ酸のモル濃度については何ら記載されていない。(以上につき,段落【0034】ないし【0047】,【0063】ないし【0071】)。
・・・・・・
これに対し,被告は,付加されたシュウ酸等のモル濃度とジアクオDACHプラチン及びジアクオDACHプラチン二量体等の不純物の量から溶液中のシュウ酸イオン濃度を導くことができるから,本件訂正明細書には,「オキサリプラチン溶液組成物に現に含まれる全ての緩衝剤の量」が,当業者が理解可能に開示されている旨主張する。しかし,仮に,被告主張のとおりであるとしても,本件訂正明細書中に,解離シュウ酸を含む「オキサリプラチン溶液組成物に現に含まれる全ての緩衝剤の量」が何ら具体的に記載されておらず,専ら加えられるシュウ酸等の量のみが記載されていることは上記のとおりであるから,このような本件訂正明細書の記載態様からみて,本件訂正明細書では,「緩衝剤」の量との関係で,解離シュウ酸を考慮に入れている形跡が見当たらず,専ら加えられるシュウ酸等の量が問題とされているとの評価に変わりはなく,この点が,本件訂正発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」に解離シュウ酸が含まれないとする解釈に沿う事情であることは何ら否定されるものではない。
(イ) ・・・・・・・・・・,シュウ酸を添加していないオキサリプラチン溶液組成物である実施例18⒝・・・・・・・が裏付けられる旨主張する。
しかし,・・・実施例18⒝については「非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物」と表現されている(段落【0073】)。・・・

3.考察

以上のように、裁判所は「緩衝剤」としての「シュウ酸」は添加シュウ酸に限られると判断しました。
被告主張のとおり組成物中のシュウ酸イオン濃度を導くことができるのであれば、「緩衝剤の量」と表現せずに単に「シュウ酸イオン濃度」と表現することにより、作用効果及び実施例などの具体的開示がそれに対応している限り、記載要件を満たします。むしろ、その方が好ましいと言えます。訂正後の本件請求項1は、前記の通り「物」の発明であるところ、「物」の発明は原則として当該物をその構造又は特性により直接特定すべきとされているからです(平成24年(受)第1204号及び審査基準)。
しかし、「緩衝剤」という表現に加え、本件訂正明細書の実施例は、いずれも水に緩衝剤及びオキサリプラチンを混合することにより製造するものとされていたり、被告主張の根拠とされるシュウ酸無添加の実施例18(b)が「非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物」と表現されていたりするなど、明細書自体に被告の主張と一貫しない記載があることが被告に不利に働いたと思われます。
今後、「~剤」という語を用いて明細書を書くときの参考になるとともに、改めて請求の範囲と明細書とは一貫性をもたせるべきことの教訓になる判決でした。

Comments are closed