先使用による実施権とそのリスク

ある税理士さんから聞いた話ですが、その税理士さんのクライアントに「うちは先使用権があるから自社が実施するのに支障はない。」といって、全く特許を出さない企業があるそうです。

確かに、特許法第79条に「先使用による通常実施権」という権利(先使用権)が規定されています。弁理士なら誰でも知っている条文でして、弁理士試験でも良く出題されるところです。

例えば、甲が今から5年前にある装置の発明を特許出願したが、乙は偶然にも同じ装置を甲とは独立して(つまり甲の模倣としてではなく)発明し、 5年以上前の時点で実施していたとすれば、甲が特許を取得した後も乙は引き続き実施できるという権利です。

しかし、この権利だけを当てにして事業を継続するのは大変なリスクがあります。

第一に、乙は、甲の出願時、即ち5年以上前の時点で実施していたか又は事業の準備をしていたという証拠を確保しておく必要があります。
公証人の印あるいは客先の承認印の押された設計図面や、納品書・領収証など客先との取引書類がそれに該当しますが、甲が5年後の今頃になって特許を取得したとすると、5年前のそれらの書類を倉庫から探し出して揃えなければなりません。

第二に、先使用権の範囲は、甲の特許の全範囲で認められるのではなく、乙が発明した範囲に限られるということです。更に、乙は異なる事業目的で前記の装置を実施することはできないということです。
つまり、装置の販売だけを行っていたのなら、製造まではできないし、使用だけを行っていたのなら、製造・販売まではできないのです。

第三に、仮に上記の二つの要件が満たされたとしても、甲が納得してくれなければ、判断するのは裁判官だということです。
通常は、甲が乙を特許権侵害だとして裁判所に訴えたときに、乙が抗弁として先使用権を主張します。
弁護士さんに代理人になってもらって被告になるわけでして、特許出願の何倍もの費用がかかるうえ、判決がでるまでは安心して実施できないでしょう。

一方、乙が発明をした時点で特許出願していれば、甲の権利化を阻止することができますし、乙自身が権利化すれば立場逆転です。

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